ちゃ太郎の足跡
気ままの日記
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ちゃ太郎の リスボン日記  6  2009.3.26

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3月26日 よる

隣に、ドイツ人夫妻2組が座った。
一番向うは8人の家族づれ、真ん中は4人組と2人組。
70~80人は入れそうな店だが、ステージ前に19人の客。
(ファドは店の一部の壁の前がステージになる)
ドイツ人の亭主たちは64才と67才。
64才のポッチャリおやじが、片言の英語でやたら話しかけてくる。
「お前は、30代か40代か、とみんなで当てっこしてる」と言うから、
「驚くなよ、54才だ!!」と言ったがスルーされた。
日本にも来たことがあるらしい。
が、その話にはこっちがスルーしてさしあげた。
ここは、ガイドブックにに載っていたファドクラブ。

最初の歌手は、そこそこ若くて、そこそこ美人で、かなり上手い。
もうけた。
カーチャのCDにある「アヴェ・マリア」を初めて生で聴いた。
ギターラのおじさんは、風邪気味らしく、咳がうっとうしいがウマい。
二番手のオジさん歌手は、いい味だしている。
これは、今夜は期待できそうだ。
ところが、その後雲行きがあやしくなった。
三番手の熟女は上手いんだけど、かなりの風邪で気の毒。
でもプロの歌だった。
そして四番手の熟女。
熟々のかけ合いソングのあと、ソロに入ったがプロの歌手とは言いづらい。
年と共に衰えた、という感じでもないし。
秋元順子さんが懐かしくなる。
そして最後に、なんと日本人女性(と思われる)歌手が登場。
明らかに修行中と分かるが、頑張っていた。
私好みの、腹に響くパワフルなファドでなく「マドレデウス」のテレサ・サルゲイロ風の、
ソフトで細やかな歌い方と、歌のおねえさんのような笑顔。
日本人らしい、控えめさが出ていたが、
帰国したら「本場仕込みの本格派」という、重い肩書が自動的についてしまいます。
ガンバって下さい。
最初の二人が真打ちだったみたい。
リスボンは、日本の寄席と違い 出演順もかなりアバウトですぞ、皆さん。

そう言えば、隣のドイツ人おやじは「トリスタンに住んでいる」と言う。
「トリスタンとイゾルデ」かいな。
何度も聞き返して、10回目くらいに、やっと「ドレスデン」だと分かった。
でも、どう聞いても「トリスタン」にしか聞こえない。
本物の発音だから、文句も言えない。
リスボンも、本当は「リシュボア」が正しい。
「ポルトガルの首都はどこでしょう?」
「ハーイ、リスボンです。」
「ブー!!リシュボアでした」という時代が来るのだろうか?

ちゃ太郎の リスボン日記  5  2009.3.25

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3月25日 ひる

ファドに欠かせないギターラ(ポルトガルギター)奏者が、日本にも数人いる。
が、そのほとんどが関西人。
リスボンは坂の街、神戸も坂の街。
東京では、エスカレーターは、左立ちの右追い抜き、大阪では、右立ちの左追い抜き。
リスボンも、右立ちの左追い抜き。
だから、リスボンと関西は仲良し(?)
人気のチョコレートドリンクは「UCAL」って、これは関係ないか。

リスボン最大のコロンボ・ショッピングセンターに地下鉄で。
開店時間の10時を守る店、守らない店。いろいろ。
ここは、ポルトガル流儀。
「ヴォルトン(石丸電気みたいなの)」で、マリーザのCD(仕入れ過ぎたか半額)と、
アナ・モウラのDVD(安かったが、規格違いで日本では見れないことが帰国後判明)を買う。

その後は地下鉄、バス、市電を乗りまくり。
コテコテのジェロニモス修道院のそばにある、日本のハコモノのような
ベレン文化センターの前から乗ったバスが、嬉しい大誤算。
市内に向かわず左折、モンサント森林公園に突入した。
東京ドームの何倍かは、東京ドームの広さがわからないので、
いや、わかっていても、そんな安っぽい喩えを使うつもりは一生ない。

公園の中心部は、まるで軽井沢。
どっぷりと森林浴にあずかり、森を抜けてからは、どこを走っているのかまるでわからない。
お客も窓外も、まさにアラブの色に染まり、異国情緒たっぷり(異国だけど)。
あれれっ、目前に見えるのは、朝行ったコロンボ・ショッピングセンターじゃないか。
そして更に走り続けること30分(乗り放題はありがたい)。
どこかに着いた。

ここはどこだ。
近くのパステラリア(田舎のドトール)に入りコーヒーと水を注文。
地図を広げて「ここはどこ?」
ヒマそうにしていたオジさんたちが、急に元気づいて、
あーだこーだと教えてくれる。
これがうれしい。
市の北のはずれのようだ。
目前には、東京ドーム3個分の団地が立ち並んでいる。
知らない街は、よそよそしくも優しい。
オジさんたちは、青空将棋とトランプだ。
バス停の傍には白壁の教会、白いかこいに薄紫の藤。
「カーサ・ポルトゲーサ」の世界
ちょうどやって来たバスに乗った。

どこに行くのだろう。
知らないというのは、とても楽しい。
知らぬが仏、見ぬもの清し、氷川きよし、これでよし。

ちゃ太郎の リスボン日記  4  2009.3.25

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3月25日 よる

客引きの「ダニー・デビート」が「今日は女性が4人出るよ」と大人の会話風にささやいた。
ここは『ルーゾ』の前。
何の事はない。
団体(多分ドイツ人)用に、ステージスペースをオープンにしての大広間パターン。
4人の女性とは歌手ではなく、フォークダンスの踊り子だった。
4年前他の店でかみさんと見た、あのフォークダンスをまた見ることができるとは。

あれあれ、女4人男4人の踊り手が、皆、若くてスリムだ。
ポルトガル人のあの田舎っぽい体型(ポニョ)は、いずこへ?
4年前は何人かいたよ。
歌手のヨラちゃんは、マッチョポニョで心強い。
フィリップおじさんは、客いじり(高級店らしくないけど、団体客だもんね)。
会場が広くなった分、あのおねえさんにはお気の毒。
更に声が届かず、客がしゃべりだす。
もう一人のスリムな女性も、身をよじりながらの熱唱だけど、軽いKY。
客が合の手を入れる「カントファド」も、リズムをくずす為、合いの手が入れずらい。
弾き語りの若いアニキは、うまい。
いいねぇ。
これだよ。

団体向けの1時間のショーのあと、カーテンでステージ空間をシャットアウトして
いつもの小空間。
今日は、歌手に近いスペースにしてくれた。
ちょっと出世したかも。
滞在3時間、若いボーイが「まだワインが残っている」と言ったが、
「アテ ア プロシーマ」と、ガイドブックに書いてある通りに言って店を出た。

11時半。
ここバイロ・アルト地区は、これから賑やかになる。
けして美しい町ではないが、
だから、ファドが似合う。

ちゃ太郎の リスボン日記  3 2009.3.24

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3月24日 ひる

「ヴィヴァ・ヴィアージェン(やったぜ 旅人)」を買ったよ。
リスボン市内のバス、地下鉄、市電、ケーブルカーが乗り放題のパス。
5日間で2500円也。もうタクシーには乗らないぞ。
早速ファド博物館に。
アレーーーー変わったね~~。
前は、ファドの女王アマリア・ロドリゲスをメインに古き良き時代を懐かしむ・・・
ってな感じの展示が中心で、一度見ればいいかな?的なものだったのに
何ということでしょう。
全館グレードアップ。
最近のファドクラブの映像や、若手の歌手の紹介、
そして変な形のイヤホンガイドで聴ける、聴ける。
数百人の新旧の歌手の歌声や、映像、ソファーに座っての視聴。
生き生きとした今のファドを体感できるようになっている。
リスボンは、ついにアマリア・ロドリゲスの死後10年、彼女の呪縛から解放されたんだ。
「1時間もいれば充分」から「4時間は居たい!!」に大変身。
アマリア抜きでファドを語るなんて不可能な、日本のファドファンも見においでー。
狭い坂道をうねって走る、観光客で満杯の市電28番よりも、
川沿いの通りを突っ走る、近代的な市電15番の方がいいぞー。
運転手の女性の、風になびく金髪がチョーかっこいい。
日本みたいなダサい帽子なんか、かぶらない。
名所のジェロニモス修道院や、発見のモニュメントなどは無視して、
終点アルジェスの手前で降りる。
老若男女のオブジェに挨拶して、終点のパステラリア(田舎のスターバックス)に。
コーヒーと水と甘いお菓子を頼む。
表ではNHKの「世界街歩き」そのままに、青空将棋やトランプに盛り上がるオジさんたち。
夫や嫁や友人の悪口で盛り上がるオバさんたち。
(言葉はわからないが、しゃべりかたで、あれはきっと悪口だと確信する)
男はあまり働かないと聞いているが、確かにブラブラしているオジさんや若者たちは多い。
オバさんたちのグチも、わかる。

市内に戻るが、リスボンは街全体が坂道なので
地図はアテになりません。
うっかり道路に面した3階から病院に入ってしまい、
1階にたどり着くまで、院長先生のご回診みたいに病院内をウロウロしてしまった。
けっこうアセッた。

ちゃ太郎の リスボン日記  2  2009.3.24

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3月24日 よる

アントニオがいた。
道のまん中で客引きしてる。
「カルドヴェルデ」は営業していた。
「ようっ」と言ったが、こいつ、オレを覚えていない。
1年半前「シャタ、シャタ」と抱き合ったオレを覚えていない。
この薄情者が。
中に入ると、懐かしいが何か変だ。
フロアーに、気さくなメキシコ女性ハニアがいない。
髭の店主は、オレを覚えていた。
客はふたり(たぶんドイツ人父娘だ。ポルトガルへの観光客の半分はドイツ人だから)
まだ、8時半。歌が始まるのは9時から。
カウンターの奥の目つきの鋭い女性(ドイツ人っぽい)が気になる。
誰だろう。店主の奥さんか?(ちょっと恐い雰囲気だ)
9時前なのに、歌が始まる。
「カルドヴェルデ」は、他の店に比べて歌の時間が多い。
うれしいが食事が進まない。(歌の時間は、食事をしないのがマナーだから)。
アントニオが、女性歌手を紹介した。
そこそこのお姉さまだが、声もいいしバツグンにうまい。
間をおいて、アントニオ。
相変わらずの堺正章モードで ホッとする。
歌っている時に、オレを思い出したみたいで合図を送ってきた。
インターバルのあと、ゲストらしい中年女性だ。
これもけっこうウマい。
ただ、ギターラのシウバがいないのは当然だが、
私にとって最高のファディスタ ビエダードも、美人でかわいいデボラも
水前寺清子風味のルルドスも、シャウトの達人おやじマジェルもいない。
(ヴィオラのペレイラは残っていた。ギターラは小柄でそつなくこなす人。)
なんとなく違和感があって、10時頃に店を出た。
アントニオが、日本語で「ありがと」と言ったが、
「シャタ」が思い出せないらしく、「アミーゴ」と少し申し訳なさそうに言った。

ホテルの部屋で、昼間バイシャ・シアード(六本木と銀座をミックスしたようなメインストリート)で買った、カーチャ・ゲレイロのCDを聞いた。
窓の外には、宮殿のような体育館がライトアップされ、
その上を、着陸する飛行機の光が通過した。

ちゃ太郎の リスボン日記  1  2009.3.23

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3月23日 夜10時30分

どういうことだ。
「カルド・ヴェルデ」が閉まっている。
年中無休のはずなのに。
この店に来る為の 3度目のリスボンなのに。
定休日が出来たのか?それとも、つぶれたのか?
高級なファドクラブは、最低料金(2000円~3000円)があるが、
「カルド・ヴェルデ」は、コーヒー一杯でもファドを聴かせてくれる。
採算が合うのかと思っていたが、つぶれたのかな。
この店が気に入っていた理由は、ギタリスト(ポルトガルギター奏者)の
フェルナンド・シウバだ。
3年前かみさんとリスボンに初めて来て、4件のファドクラブをはしごした。
ガイドブックに載っている有名店ばかり。
その中の「ファイアー」という店で、
ポルトガルギター(マンドリンのような形と音のファドには欠かせない楽器)を
弾いていたのが、フェルナンド・シウバだった。
歌手は忘れたが、彼の演奏は素敵だった。
ギターラ(ポルトガルギターのこと)は伴奏楽器だから、
歌よりも目立つべきではないのかもしれないが、
彼はソリスト指向なのだろうか、特に間奏部分はよく目立った。
しろうとの私には、とても気持ちよかった。

1年後、今度はひとりでリスボンに来た。
夜10時にチェックインして、すぐにタクシーに乗り、
ファドクラブに連れて行ってくれと頼んだら
「ルーゾ」という、ガイドブックにも載っている高級店に行ってくれた。
しかし面白くなかった。
店は確かに高級な雰囲気だったが、ファドは歌も演奏も期待しすぎている私には、
平凡に聞えた。
明日はガイドブックに載っていない店を探そう…と思い
翌日、夜、ファドクラブが集中するバイロ・アルト地区を歩いていたら、
堺正章さんのような客引きに店に引きずり込まれた。
店の名は「カルド・ヴェルデ」。
なんとあのフェルナンド・シウバが弾いている。
明らかに左遷だ。 
しかし、いい音だ。
よく目立つ。
しかも歌手がよかった。
あの客引きも歌手で、名前はアントニオ。
歌い方も、堺正章さんによく似ていた。
しかし、何といっても女性歌手のピエダード・フェルナンデス。
この人の歌に惚れ込んだ。
美人だからではない。
とにかくうまい!そして声がいい。
ファド界の美空ひばり-アマリア・ロドリゲスよりも声もいいし歌もうまい
(私のしろうと感覚です)。
それから8日間毎日通った。
アントニオも「シャタ、シャタ」と呼んで、私をからかって客の笑いをとっていた。
私が日本語で歌っていると言ったら、最終日には歌わせてくれた。
シウバの伴奏で歌える。
あまりの緊張に足が震えた。

あれから1年半。
店が閉まっている。

成田の火災事故で、飛行機が ナリタ→パリ→リスボンの予定が
ナリタ→関西空港→パリ→リスボンになったにも関わらず定刻に着いた。
奇跡だ。なのに店が閉まっている…。
がっかりしてトボトボと歩いていたら、客引きに呼び止められた。
ダニー・デビートの弟のような男だ。
10時半を過ぎたから16ユーロ(2000円)でいいと言っている。
みると1年半前にがっかりした「ルーゾ」だ。
まぁいいさ、がっかりついでだ、入ろう。
一番後ろのテーブルに座らされた。
演奏が始まった。
エッ?
あのギタリストはフェルナンド・シウバだ。
なぜ、ここに?
やはり「カルド・ヴェルデ」は潰れたのか?
歌手は年配の女性で、歌手の宿命だが、のどを痛めているようだ。
ファド独特の、うなりやシャウトがきかない。
それを除けば、相当なテクニックはありそうだ。
だから、惜しい。
シウバのギターばかりに気がいってしまう。
2人目は、声も体もボリュームたっぷりの若い女性だった(名前はヨラちゃん)。
次はそこの看板歌手らしい、年配の男性。余裕でこなしていた。
「シウバを知っている」とボーイに言ったら、連れて来てきれた。
彼も覚えていて、男性歌手に「日本語で歌う客だ」と紹介していた。
1曲歌わせるかという話になったが、そこは高級店、無理だということになった。
と、今の部分は、2人の会話を私が勝手に想像しただけなので、あてにはならない。
シウバに会えた事を感謝して、ホテルに帰り35時間ぶりに眠りについた…。

あけまして おめでとうございます。

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昨年は、世間ではいろいろあった年ですが
とりあえず
屋根の下で、元旦をむかえることができただけで 大満足です。

今年も、世間ではいろいろあるでしょうが、
活動の柱である「ちゃ太郎・オペラ・カンパニー」も3年目を迎え
拠点を、メンバーが暮らす群馬だけでなく
座長(私)が暮らす、神奈川にも拡大するつもりです。

また、昨年6月の発足からかかわっている
おやじユニット「イブニング・ダンディーズ」も
リーダー大石 誠のつっぱしりに 歯止めをかけながら
息の長いグループにしていきたいと、思っております。

他にも、山梨・韮崎での市民合唱団の創作オペレッタや
恒例「武田の里音楽祭」そして「洗足ちゃ太郎一座」の総決算等、
身にあまる予定をいただいております。

さらに趣味のファドも、日本語付詩100曲をむかえ
少数の方のご希望に答えて(気はすすみませんが)
ポルトガル語でも歌えるようにしたい と思っております。

どの活動も順調にすすんでいるのは、
かかわる人達の 人柄の良さ あってのこと。
宝くじにはあたりませんが、人間くじには大あたり。
今年の私の幸せは、皆さんにかかっています。
神様、もう何も望むことはありません
(リスボンに行きたい!!)。

今年も よろしく お願いします。

    ウーロン亭ちゃ太郎(仕事上の名前)
     重本 正明     (戸籍上の名前)
     シャタ (イブニング・ダンディーズ上の名前)

“棚からボタ餅”ファド・ライブ

日本民間放送連盟にて、ラジオ・エンターテインメント番組の審査。
4時間の予定が3時間で終了。(結果は9月18日まで言えません。)

直後、
審査員の梁さんから、渋谷モミュ・ライブの問い合わせ。
ファドも歌うと言うと、他の審査員から
「ファドですか?」
「ファドって何ですか?」 との言葉。

きたきたきたきた~。

「ポルトガルの歌謡曲を日本語で歌っております。」
「おもしろいですねー、ちょっと歌ってもらえませんか?」
待ってましたのその言葉。
さすが民放連、アッという間のセッティング。
審査員スタッフ8名を前に、ファド3曲を熱唱。
至福のひとときでした。

聞いて下さったみなさま、お疲れさまでした。
そして

オブリガードー!

てぐぢゃぎ・ファド・クラブが 「きた~ !!」

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ファド歴2年7か月のちゃ太郎が、
ギターラ(ポルトガルギター)歴6日のBUN中野氏や、
店主のさくらPaPaをトルネードに巻き込み、
ジャパニーズファドの明日に向かって(弱い)腰を挙げた。

9月以降の月曜夜は
溝の口「てぐぢゃぎ」のミニ・ライブ(10分間)で
「哀愁のポルトガル」ならぬ
「酔いどれ南武線」ファドの毒気にあたっていただこう。

花火といなり

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茅ヶ崎在住6年。
いつも遠~~くから見ていた花火を、
今年は“茅ヶ崎三田会”指定の砂浜で 仰ぎ見る。
休憩なしの50分。

首が痛い。
ビールがうまい。
カキピーの湿っけるのが速い。

「誰かいなりいる人~?」の声に
「はーい!」
と割って入るオヤジひとり(私です)。
後輩の皆さん、ワサビいなりおいしかったよー。
どうもー。

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