ちゃ太郎の足跡
気ままの日記
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「異能の人、ウーロン亭ちゃ太郎のオペラについて」(抜粋)

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劇団にんげん座主宰の飯田一雄先生より
このような一文を寄せていただきました。

いろいろな芸能に親しんではいるものの、オペラってのは馴染まないなあ。
発狂するような、いきなりの高音で唄い出す唐突さに眩しさを感じちゃうからなのかも知れません。
それにオペラは高いのだ。演劇の数倍かけなければ上演するのは難しい。
だから、庶民の芸能に引き下げることは容易ではない。
 明治になって日本の実力を欧米に誇示する政策の一貫として帝国劇場を創設し、
イタリアから演出家を招聘してオペラを上演したが、上流階級の社交場の機能しか果たせなかった。
 ところが大正時代になって、オペラは下町浅草で予想外の旋風を巻き起こしたのです。大スターの田谷力三は日本中に知れ渡り、大正時代を代表する芸能になりました。
浅草オペラは、オペラのダイジェスト版や名場面集、さらに軽快な音楽と笑いをまぶしたミュージカル風オペレッタが主で、ぺラゴロ(オペラファン)はインチキオペラと言いながら親しんでいました。
 昭和に入り「本格的な」オペラが生まれてきます。
さらに現在では立派な会場で豪華なオペラが上演されていますが、
木戸銭もそれなりに覚悟しなければなりません。

 さて、私はフシギな人に出会いました。ウーロン亭ちゃ太郎さんと言います。
オペラの俳優であって音楽理論家、さらに落語の知識があって独特な話術にたけた才能を駆使してオペラの普及に全力を投入している貴重な人材です。
 どういう思いつきか、このほど、ウーロン亭ちゃ太郎ワンマンショウを毎月定期的に開催することになりました。
題して「ひとりオペラ」。
毎回、オペラの名作を一人で語り、唄い、内容を紹介するショウで、これに日本に馴染みの薄いポルトガルの歌謡曲「ファド」を紹介するショウが付いて『オペラとファド』全5回公演です。
 私がいままで頭の片隅に敬遠していたオペラの題名が演目として並んでいます。その第1回目は「マクベス」でした。会場のブリックワンは千駄木にありますが、場所が分りにくいので「隠れ家」と呼ばれているようです。
 舞台はありません。板敷きの部屋の奥の方が出演者のスペースで、椅子が並んだ場所が客席です。三十人も座れば満席です。
オペラファンというより、ちゃ太郎のファンが集まった、個人的な集会を思わせました。
昔だったら、この人たちがぺラゴロだったのでしょうか。ここのぺラゴロは、みんな行儀がいいし、なにより客種がいい。
 
 定刻にウーロン亭ちゃ太郎が正面に立って、ニ三の思いつきのジョークを交えた挨拶につづいて「マクベス」に取り掛かった。
時代背景からストーリーに入り、時折エピソードを入れながら登場人物の掛け合いを語り、アリアを唄い、物語を進行させる。
高いオクターブのアリアに観客の拍手が湧き上がる。
親しみをこめた話術を振り撒きながらの50分。
 こんな催しを毎月にわたって15回、連続公演するそうです。
「ドン・ジョバンニ」「摩弾の射手」「タンホイザー」など、題名は知っているのに、内容は何にも知らない私にとって、一生の中で最後のチャンスに違いない。楽しい教養講座のつもりで精勤しようと思います。
 休憩を挟んで、今度は歌謡ショウ。聞き慣れないポルトガルの歌謡曲を紹介しながら、ポルトガルの酒場のさんざめきを語ってくれている。
あれ!いつか耳にしたメロディ曲が唄われている。そう、いくら初めて聞く歌とはいえ、どこかで聞いたメロディに出会う。
なんとも麗しいポルトガルの人情に溢れたロマンチシズム。
 ポルトガル庶民の歓声が、そのまま受け取れる親しみのある歌謡曲(ファド)100曲以上に日本語の歌詞をつけたウーロン亭ちゃ太郎は、その道の第一人者として知られているそうです。
 オペラと歌謡曲(ファド)。
説明に困るけど、この催しはウーロン亭ちゃ太郎の「パーソナル・エンターテインメント」とでも言っておきましょうか。珍しく気に行った催しでした。
 毎月19時開演、木戸銭1500円。